Spring Rabbit


 ある年の四月の初め、普段ならとっくに春が訪れているはずの野原には、雪が積もっていました。近くの森も真っ白な木でいっぱいで、湖もほとんど凍ったままです。野原や森に住む動物たちは、当然このとんでもない事態に戸惑いました。雪で覆われてしまった野原を駆けていく野うさぎも、例外ではありません。
「大変です! 大変です!」
 大声を上げながら野うさぎは森へ入って行き、ふく爺と呼ばれるふくろうのおじいさんの家を訪ねました。
「大変です! もう四月なのに春が来ていません! このままだと森は、大変なことになってしまいますよね! ああ、どうしよう!」
「野うさぎよ、少しは落ち着きなさい」
 野うさぎの大声を聞いて、ゆっくりと扉を開きながらふく爺は言いました。
「ですけどふく爺、落ち着いてる場合じゃないですって! これは森の一大事です! 早くなんとかしないと、僕たちみんな大変なことに……」
 もともとせっかちな野うさぎは、どうやらいつも以上に慌てているようです。ふく爺の家までやって来ても、じっとしていられないのか、飛び跳ねたり歩きまわったりしています。
「大変なのはよくわかっとる。だからこそ、落ち着くことが大切なんじゃ。少なくとも、お前はもう少し落ち着いたほうがいじゃろう」
 せわしなく動き続ける野うさぎとは対照的に、ふく爺はほとんど動かずじっとしています。野うさぎのせっかちな性格にも、慣れているようです。
「わかりました……でも、やっぱりじっとしてはいられません! 僕たちはどうすればいいんですか!」
 野うさぎは、少しは落ち着いたものの、まだ少し飛び跳ねたり歩いたりしています。そんな野うさぎを椅子に座るよう促しながら、ふく爺は言いました。
「まず、この辺りに春が来るのはどうしてか、知っておるか?」
「えっと……確か春の妖精が運んでくれる、って前に聞いた気がしますが……」
「その通りじゃ」
 ココアを温めながら、ふく爺は続けます。
「そして、その春の妖精は毎年うちにも遊びに来とるんじゃが……」
「今年はまだ来てないってことですね! それではつまり、その妖精を探しに行けばいいんですよね! わかりました! では早速、春の妖精を探してきます!」
 野うさぎは勝手に納得して、そのままふく爺の家を飛び出し、外へ駆けて行ってしまいました。
「まだ、話の途中だったんじゃが……」
 ふく爺は、やれやれといった顔でつぶやきながら、二人分のココアを机の上に置きました。

 春の妖精を探して、野うさぎは再び野原にやってきました。しかし、野うさぎはここである重要なことに気がつきました。それは、春の妖精がどこから来るのか、どんな見た目をしているかなど、必要な情報がほとんど無いということです。
「これは困ったな……」
 野うさぎは困り果ててしまいましたが、それでもとにかくあちらこちらと走り続けました。少しもじっとしていられないたちなのです。雪に覆われた野原で、真っ白に染まった森で、凍りついたままの湖で、少しでも春の妖精の気配がないかと探しました。
 そうして野うさぎがあてもなく走り回っていると、小さな池のほとりに出ました。それは、どこにでもありそうな池でしたが、一つだけ他の池と異なる点がありました。この池だけは、全く凍っていなかったのです。おまけに、近くには小さな花が一輪咲いており、花の向こうの林からは春の気配が漂っています。
「花が咲いている、ということは、この向こうに春の妖精がいるに違いない!」
 花を見つけた野うさぎは、林に向かって駆けて行きました。林の木々は、所々に雪を被っているものの、進んでいくごとにその量は減っていき、漂う春の気配はしだいに濃くなっていきます。真っ白だった地面も、しだいに本来の姿を現し、その上に生える草花もだんだんと増えていきました。
 更に進んで林を抜けると、小さな丘があり、そこで何かが光っていました。桜色のその光は、暖かな春の日差しのようなものを含んでいます。
 その光は妖精が発しているに違いないと思って、野うさぎが近づいてみると、光の中央には透き通った羽を持った小さな妖精がいました。
「妖精さん、妖精さん、あなたが春の妖精ですよね?」
 野うさぎはさっそく尋ねました。それに対して妖精は、こくりと小さくうなずきました。
「えっと、じゃあどうして春を運んでこないんですか?」
 白うさぎの質問に、春の妖精はゆっくりと小さな声で答えました。
「粉がないのです……」
「粉、ですか?」
「はい。私たち春の妖精は、春の神様からいただいた不思議な桜の粉の力を借りて春を運んでいるのですが、うっかり粉の入った袋を落としてしまったのです。そしてそれだけならまだよかったのですが、たまたま通りがかったおじいさんが持って行ってしまったのです」
 困った顔で、春の妖精は説明を始めました。
「それでは、そのおじいさんから返してもらえばいいんですね」
「それができればいいのですが、私はこの通り何をするにもとてもゆっくりですから、すぐに見失ってしまったのです……」
 俯きながら話す妖精の背では、薄く綺麗な羽もゆっくりと動いています。
「では、人間の住む里まで行って探してきましょう!」
「で、ですが、人間の里はここから随分と離れていますし……」
「いいんです! 探すしかないんですから行くんです!」
 早口でそう言うと、野うさぎは妖精を背に乗せ、人間の里に向かって走り出しました。

 野うさぎたちが暮らす野原から人間の里までは数里ほどの距離がありましたが、元気な野うさぎは一気に駆けて行き、日が暮れてきた頃には人の住む家が見えるところまで来ました。そして、木や建物の陰に隠れながら、人間の様子をうかがいます。
「妖精さん、粉を持って行ったおじいさんの特徴を覚えていますか?」
「特徴ですか……」
 少し考え込むようなしぐさをしたあと、妖精は答えました。
「白髪で、髭をたくさんはやしたおじいさんでした。それから、確か緑色の服を着ていたはずです」
「なるほど……」
 野うさぎはさっそく、その辺りにいるおじいさんを髭に注目しながら見て回りました。ところが、ほとんどのおじいさんが白髪で髭をはやしていたため、どのおじいさんか特定することができません。
「こうなったら、全部の家を探してみようかな……でも、そんなことしていられるほど時間もないし……」
 ぶつぶつとつぶやきながら考える間も、野うさぎは里中を駆け回ります。太陽は山に隠れかかっており、もうすぐ夜になるでしょう。
「あ、そうだ」
 突然立ち止った野うさぎは、妖精に尋ねました。
「粉が入った袋は、開いていましたか?」
「えっと……一応紐でくくってはいましたが、少しだけ開いていた気がします」
 ゆっくりと、思い出しながら妖精は答えました。
「では、もう一つだけ質問です。その粉には何か特徴がありますか?」
「そうですね……夜になると、うっすらと桜色に光ります」
「なるほど!」
 そう言うと、野うさぎは再び走りだしました。しかし、妖精は野うさぎが何を考えているのかわからなかったので、振り落とされないように気を付けながら尋ねました。
「あの、今度はどこに向かっているのですか?」
「里から森に続いている道まで行って、夜まで待つんです」
 走りながら答えた野うさぎの背で、妖精はその理由を考えました。
「それは、つまり……袋から落ちた粉が光っているのを見つけて、それを辿れば粉を持って行ったおじいさんも見つかる、というわけですか?」
「そういうことです!」
 そうして、野うさぎはのんびりとした里をいつも通りの速さで駆けていったので、太陽が沈みきった頃には里の出口に着いていました。明かりのほとんどない里は、夜になると満月にはやや遠い月が照らすのみですから、何かが光っていればすぐに見つかるはずです。真っ暗に近い里の出口で、野うさぎと妖精は、細い土の道を中心に辺りを見回しました。
「里の人たちは、森に入る時にこの道を通りますよね」
「そのはずです……」
 時々里を訪れることもある妖精は、曖昧な記憶を頼りに答えました。
「あっ、でも道以外のところから森に入る人だっていますよね」
「野うさぎさん!」
 いつものように突然駆けだそうとした野うさぎを、妖精は呼びとめました。その声は、少し震えているようにも聞こえます。
「これ以上、無理に探してくれなくてもいいんです」
 何もない道の上で、妖精は言います。
「桜の粉なら、神様からもう一度いただけばいいのです。いえ、最初からそうするべきたったのです」
「ですが、そんなことしたら!」
「わかっています。大切な粉を失くしたなんて言ったら、怒られる……どころじゃすまないかもしれません。実際、そうだからこそあのように丘の上で、どうしようか悩んでいたのです」
 話している間も、妖精の羽は弱々しく揺れています。真っ暗な中を吹き抜ける冷たい風も、妖精の羽を揺らします。
「とはいえ、こうしてこのまま春を運んでこなければ、あなたのような森や野原に住む動物たちに迷惑をかけてしまいますし、ここに暮らす人間のみなさんも困らせてしまうでしょう。そして、何より植物たちにとって、このことは大きな問題となります。ですから、春の神様に話して、一刻も早く春を運ぶしかないんです」
「妖精さん……」
 暗闇の中で、もともと小さかった妖精の光は、より一層小さく見えました。そんな、消えてしまいそうな光を纏った妖精を見つめながら、この時ばかりは野うさぎも何も言えませんでした。

 真っ暗な森の中を、妖精を背に乗せた野うさぎは無言で走っていました。妖精がいた小さな丘は、春の神様が住む国に通じているので、そこまで妖精を送って行くのです。
 暗い森の中は、まだ多くの動物が眠っているのか、とても静かです。野うさぎが駆けていく音だけが、やけに大きく聞こえます。
「野うさぎやーい」
 そんな時、突然誰かの声が聞こえてきました。
「野うさぎやーい、どこにおるー」
 森の中で響くその声は、だんだんと大きくなってきます。
「野うさぎやーい、どこに……おお、ここにおったか」
 上空から現れた声の主は、ゆっくりと野うさぎの前に降り立ちました。黒に近い茶色の翼をゆっくりと閉じたその鳥は、野うさぎが春について聞きに行ったふく爺でした。
「まったく、お前はどうして人の話を最後まで聞かんのじゃ」
「そ、それは……」
「ほれ、春の妖精さんの落し物じゃ」
 そう言ったふく爺が差し出したのは、野うさぎと妖精が探していた桜の粉が入った袋でした。
「ふ、ふく爺、どうしてこれを……」
「たまたま拾ったおじいさんがわしの知り合いでな。春の妖精の話を知っておったのか、わざわざ届けてくれたんじゃ」
「そ、そうだったんですか……」
 突然のできごとに驚く野うさぎと妖精の前で、ふく爺はあきれた様子で話します。
「最後まで話を聞いておったら、こんなことにはならずにすんだんじゃが……まあ、お前さんなりにがんばったようじゃし、よしとしよう。その代わり、妖精さんの仕事を手伝ってきなさい」
「はい、わかりました。ではさっそく行きましょう、妖精さん!」
「えっ、あ、はい!」
 まだ混乱している妖精を連れて、野うさぎは森を駆けて行きました。もうまもなく、この辺りにも春が訪れるでしょう。

 少しずつ、夏の暑さが近づいてくる頃、春の妖精は春の国に帰る支度をしていました。
「もう、帰るんですね」
「はい……ですが、来年も、その次の年も、必ずまた来ますから」
 野うさぎと話す妖精は、少しだけ変わったように見えました。小さな羽の羽ばたきも、以前より力強く感じられます。
 春の訪れが遅れてしまうことは、もうないでしょう。


高校の文芸部で書いたお話。
発掘してみると、思った以上にうさぎの話が多い(ここに載せてない話もあるけど)


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