三


 昼間でも薄暗い、鬱蒼と茂る森の中を一行は歩いていた。二日前に眠らない街を旅立ち、森に入ったのは一日前のことだが、ただでさえ日の光を遮る木々たちが暗くしている森は、空を覆う黒い雲によって暗さを増している。小雨も降っており、早く通り抜けてしまいたいと感じさせる。
「疲れた……もう休みたい」
「本当に、魔法以外はまるで駄目だな」
「そういう人ですから」
 襲い来る魔物はそのほとんどをソーダが魔法で一掃するため、苦戦することは無かった。だが、普段運動不足の彼には、長い距離を歩くこと自体が苦痛らしい。
「この道歩きにくいし、疲れても仕方がないだろ……」
「さっき休んだばかりですけどね」
 弱音を吐きながら、ソーダはぐったりと歩いていく。背中に背負った剣の重みも相まって、本当に疲れているようだ。
「きつかったら、僕が代わりに荷物持ったりしようか?」
「甘やかすな、これも修行の一つと思えばいい」
 普段の畑仕事で体力には自信のあるコーンが気を使うが、即座にフェンネルが退ける。あまり強く言えないコーンは、ソーダの様子を見守るだけにとどめた。アセロラも、回復魔法で助けるつもりはないらしい。二人は厳しかった。
「少しは甘やかしてもいいだろ! 人には向き不向きがあるんだからさ……」
「向き不向きがあるとしても、お前は体力がなさすぎだ。剣で魔法が使えるようになったとしても、伝説の剣を持って戦う必要があることを忘れるなよ?」
「それはそうだが……」
 うなだれるソーダは不満げだ。軽量化された杖と違って、伝説の剣はかなり重いのである。背負っているだけでも、魔法使いには相当に苦しい重さだ。
「あ、じゃあせめて、おまじないを唱えようか。重いの重いの、軽くなれー」
「なんだ、それは……」
何を思いついたのかと思えば突然おまじないを唱え始めたコーンに、ソーダは呆れたような目を向けた。アセロラの回復魔法と違い、ただ言葉を唱えるだけのそれに、具体的な効果は特にない。軽くなったという強い思い込みでもない限り、気休めにもならないだろう。
「痛い時とか、辛い時とかに、いつもおばあちゃんが唱えてくれたんだ。しばらくすると、全部よくなった感じがするよー」
「……あほらしい」
「そ、ソーダ君も効果を実感したらわかるってー」
 ソーダの言い方はさすがにあんまりだと思うアセロラとフェンネルだったが、おまじないの効果を信じるかどうかについては、二人とも信じない側だった。強く信じることで、その思い込みによってよくなったような気がする、あるいは実際に回復に向かうこともあるかもしれないが、信じない人間を相手に唱えたところで特に意味はないだろう。おまじないなど、所詮は迷信、あるいは自己暗示に過ぎないのだ。
「うちのおばあちゃん、命術師なんだけどなぁ……」
 コーンがぽつりとつぶやいた言葉は、雨音とソーダのうめき声に重なり、誰にも届くことはなかった。

 *

 眠らない街を旅立って四日目。森の中はまだまだ暗いが、もう朝だ。夜のうちに雨がやんだ空は、すっかり晴れている。
「せめてあと五分……睡眠イコール瞑想、つまり修行だ……」
「馬鹿げたことを言ってる暇があったら、体力をつける方の修行もしてくださいねー」
 恋人のようにべったりしているソーダと毛布を、アセロラは容赦なく引き離していった。ソーダの自称瞑想タイムは終わりを告げる。
「足りない、足りない……」
「もっと早く寝ればいいだろ、夜更かしのし過ぎだ」
 朝食の支度をしながら、フェンネルは指摘した。もっとも、夜更かしの原因は魔導書の読み過ぎや瞑想であるため、あまりしつこく注意できずにもいる。他とのバランスが取れていないだけで、それ自体は間違った行動ではないのだ。
「俺は朝に寝たい派なんだ……」
「だったら朝飯は抜きだな」
「いいよ別に……食欲ないし」
 毛布を取られてもなお、ソーダはぐでんとしていた。その様子を横目に、フェンネルは三人分のパンとスープを用意していく。本気で朝食抜きにしようとしているが、ソーダはなにも言わない。それよりも眠りたいようだ。起こすことを諦めたアセロラは、ランニング中のコーンを呼びに行くことにした。
「コーンさん、もうすぐ朝ご飯ですよー」
 まだ走っているものと思いながらアセロラはコーンを呼んだが、呼ばれた彼は走っておらず、なぜか辺りをきょろきょろと見回していた。
「あ、アセロラちゃん、僕のお守り見てない?」
「お守り、ですか?」
「上着の裏に縫い付けたはずなのに、いつのまにか糸が切れてなくなってて……あれがないと、僕、僕……」
 眉をハの字に曲げ、コーンは今にも泣きだしそうな顔をしている。彼にとってはよほど大事なものなのだろう。だが、辺りにそれらしきものは見当たらないし、見た覚えもない。
「えっと、どんなお守りですか?」
「白い布でできてて、赤いガラス玉と黒い石がついてるんだ。薄くて、大きさは、これぐらい」
 説明しながら、コーンは指で小さな正方形を描いた。マッチ箱を二つ合わせたよりやや小さいほどであろうか。それがいつの間にか、なくなっていたのだと言う。
「昨日の夜は確かにあったし、しっかり縫い付けてたのに……」
「みんなで探したらきっと見つかるでしょうし、朝ご飯を食べてから、もう一度探してみませんか?」
 酷く落ち込んでいるコーンの手をとりながら、アセロラは言った。昨晩の時点であったのならば、探す場所は限られてくる。四人で探せば見つからないこともないだろう。
「う、うん、ありがとう……」
 朝ご飯を食べ終えると、コーンのお守り探しが始まった。ソーダは嫌そうな顔をしているが、少しだけならばと一応手伝っている。だが、探し始めて三十分、お守りが見つかる気配はなかった。
「僕のお守り、いったいどこに……」
 涙を滲ませながら、コーンは木の幹に寄りかかって座り込んでしまった。
「昨日の夜あったっていうのも、勘違いかなにかだったんじゃないのか? 諦めろ」
「先輩!」
 アセロラが批判するような目でソーダを見るが、ソーダはアセロラもコーンも無視して早く先に進もうとしている。だが、フェンネルがそれを手で制した。
「お守りには、赤いガラス玉が付いているんだよな? そして、縫い付けていた上着は濡れていたから一晩干していた、と」
「うん、そうだけど……」
 フェンネルは、なにか思案するような仕草をしている。
「眠らない街を出る前に、この辺りには盗賊が多いという話を聞いた。可能性は低いが、宝石か何かと勘違いした盗賊がそれだけ盗んだのかもしれない。もっとも、他に被害がないあたり相当臆病な盗賊ってことになるがな」
「えぇっ! と、盗賊が……?」
 コーンは驚いたが、これだけ探しても見つからない以上、落としたという可能性はほぼないと考えていいだろう。加えて、糸が自然にほつれるなどして落としたり、鳥やその他の獣に奪われるなどしていたにしては、縫い付けていた上着の状態があまりに綺麗すぎる。人間が意図的に外そうとしない限り、こうも綺麗な状態にはなかなかならないだろう。
「そうだとしたら、どうしましょう……」
「お守り一つのために、わざわざ盗賊を探して退治する、というのはさすがにどうかとも思うが、近隣の住民や通りがかった商人たちが被害に遭っているという話も聞いている。それを解決するぐらいの寄り道は、勇者の行動として間違っていないんじゃないのか?」
 盗賊退治を提案するフェンネルに、ソーダは露骨に嫌そうな顔をした。
「盗賊なんかいくらでもいるんだから、そこまでしなくたっていいだろ……お守り探しはもうやめにして、俺はこんな森、さっさと出たい」
 止めようとするフェンネルの手を振り払い、ソーダは出発の準備を始めた。広げたままだった荷物をリュックに詰めていく。
「でも、コーンさんも被害に遭ってる人たちも困ってるんですから、助けるべきだと思います。遅くなる分は、先輩がもっと早く歩けばいいじゃないですか。人助けは大事です」
 アセロラの言葉にも聞く耳を持たないまま、ソーダは群青のマフラーを巻き、同じ色のリュックを背負い、青いとんがり帽を被って、支度を済ませてしまった。
「盗賊を退治したいなら勝手にすればいいが、俺は一人でも行く。俺は天才だからな、一人でも問題ない」
「待ってください、先輩!」
 アセロラが呼びとめるが、ソーダは無視して歩き始める。暗い森に消えていくその姿を、フェンネルは黙って見つめていた。
「ど、どうしましょう……」
「僕のせいで、ごめん……」
 困り果てた表情のアセロラと、うつむくコーンの隣で、フェンネルは落ち着いた様子だった。
「いや、どうせそのうち戻ってくるだろう。いろいろと学ぶ、いい機会だ。俺たちはそれまでに、盗賊を退治しておけばいい」
 フェンネルはそう言うなり、森と周辺の地図を取り出し、二人の前に広げた。広い森の、北の方をフェンネルは指差す。
「話によると、盗賊が特に多いのはこの辺りらしい。現在地はここだから……」
 こうして、勇者不在の盗賊退治が始まった。

 *

「なにが盗賊退治だ、勇者にはもっと重要な使命があるだろ。大体、お守り一つないぐらいでなにをそんな……」
 日がだいぶ昇って来たものの、高い木ばかりに覆われた森は相変わらず暗い。どことなく不気味ささえ感じさせる森の中を、ソーダは不貞腐れながら歩いていた。怒鳴る人間がいないのをいいことに、伝説の剣はだらだらと引きずっている。積もった落ち葉を掻き分けるように、地面にはぐねぐねとした跡が残っていた。
「休みながら歩いても、寄り道しなけりゃ俺の方が速いし、伝説の剣だってご丁寧に持とうとするからきついんだ。俺は天才だから、より楽な、いや、効率のいい運び方が思いつくし、それを実行できる」
 誰にともなく言い訳しながら、暗い地面の上をだらだらと歩く。
「当代最高の大魔法使いになる俺は、魔物が現れたって全部蹴散らせるし、一人の方が最適なタイミングで休憩が取れるし、だから俺は、さっさと魔法使いの里について、それで、それ、で?」
 ソーダはふと、足を止めた。引きずられていた剣の、ずるずるという音も止む。
「魔法使いの里に着いて、なにをするんだ? 伝説の剣で魔法を……馬鹿げてる、あるわけがない、できるはずがない。だから、きっと無駄足で、くたびれ損の骨折り儲けで、それで、俺は、結局のところ、誰も守れない、その事実は、変わらなくて、だけど、俺は……!?」
 突然背後から背中を押され、ソーダはよろけた。その勢いで、足が数歩前に出る。だが、そこに体勢を立て直すための固い地面はなかった。足は落ち葉の中にずぶずぶと沈み込み、前のめりに倒れてしまい……気付けばそこは、穴の底だった。
「わーい、見破られてなかった! よ、よかったー」
 嬉しそうな少女の声に反応してソーダが見上げると、穴の側に人影が見えた。浅い穴だが、見降ろされているわけではないため、相手の顔は見えない。脱出する前に引きずり降ろしてその顔を拝もうと思ったソーダは、勢いよく杖を振り上げた。そのつもりだった。手の中に、いつもの長い杖はない。穴の外の人影が、楽しそうに振っている長い棒、おそらくそれが、ソーダの杖だろう。
「ええっと、落ち葉、多めにしといたので、怪我とかはしてないですよね? それじゃ、この杖と剣はもらって行きますー」
 鼻歌と共に人影は去って行った、と思われたが、十秒とたたずに穴の前に引き返してきた。
「あ、あのですね、落としたり、奪ったりだけじゃ、やっぱりあんまりかなって、思ったので、これあげます! 宝石みたいな、ガラスが付いてます。価値がないって言われちゃいましたけど、綺麗だと思うので、その、慰めには、なると思います」
 赤いガラス玉と黒い石の付いた布の塊が、ソーダの顔を直撃する。痛くはないが、ぶつかったその白い布の塊に、ソーダは更に怒りを募らせる。だが、そんなソーダの怒りに気づかないまま、盗人は今度こそ去ってしまった。フェンネルやコーンであればすぐに追いかけられたかもしれないが、致命的なほどに腕力も脚力もないソーダが脱出するには、まだまだ時間がかかりそうである。投げ入れられた盗品のお守りとともに、怒りに震えながら見送ることしかできなかった。
「な、なんなんだよ、あの盗人は……杖返せ!」
 思ったことをそのままに叫ぶが、ソーダの声は穴の中で虚しく響くだけである。通りがかった猫の鳴き声が、悲壮感を助長する。
「杖がないと……ってか、お守りもらったところで役に立つわけがないだろ! まぁ、俺は別に悪人じゃないからな、あとでコーンに渡しとくけど……とにかく杖返せ!」
 お守りをポケットにしまいつつ、ソーダは叫ぶが状況はなにも変わらない。普通の背丈の少年にはやや高い土の壁が、依然として立ちはだかったままだ。
「誰も……来るわけない、か。い、いや、俺は優等生なわけだし、人には向き不向きがあるとはいえ、本気を出せばこれぐらい余裕だ!」
 どすっ、と音を立てて、ソーダは尻もちをついた。穴のふちに手を掛け、身体を持ち上げようとしたのだが、重力には逆らえない。ほとんど身体が持ち上がらないうちに落下したその様は、なかなかにかっこ悪かった。
「い、今のは、土の感触を確かめただけだからな。本番は、これからだ」
 先程よりも勢いをつけて、ソーダは身体を持ち上げようとする。一瞬、這い上がれそうにも見えたが、腕力が足りずうまくいかない。震える手が穴のふちから離れ、ずるずると落ちてしまった。
「……そ、そろそろコツも、掴めてきたから、な」
 実際のところ掴めていたのは、このままでは脱出できそうにない、という事実ぐらいであった。だが、幸いなことにこの辺りの地面は、手でもなんとか掘れるほどに柔らかい。やがて普通に這い上がることを諦めたソーダは、土の壁から掘りやすい部分を探し出し、掘った土で小さな山を作ることにした。ずいぶんと時間はかかったが、その土の踏み台を使って、ソーダはようやく脱出を果たした。
「あいつ……いったいどこに……」
 脱出したはいいものの、穴に落ちた時と比べて、太陽はずいぶんと西に傾いている。盗人の行方など、さっぱり見当もつかない。それでも何かないものかと、ソーダは辺りを見回した。穴の側にあるのは、大量の落ち葉と、伝説の剣を引きずった跡ぐらいである。
ただし、引きずった跡は一本ではなかった。ぐねぐねとした跡が、二本ある。
「……方角的に、俺が来たのはこっちのはずだ。ということは」
 落ち葉に引かれた二本の跡のうち、一本の前にソーダは立つ。
「まさか、俺と同じ効率的な運び方をしていたとはな。だが、この場面において、その選択は命取りとなる!」
 ソーダはさっそく、盗人が付けたであろう伝説の剣の跡に沿って歩き始めた。その先にいるであろう盗人を探して、堂々と歩いていく。だが、内心はかなり焦っていた。穴からの脱出で疲れてさえいなければ走っていたであろうほどに、焦っていた。まもなく日が暮れ、夜が来る。夜は魔物の時間だ。普段のソーダはそんなことなど大して気にしないが、杖のない今、魔物に襲われれば逃げるしか手はない。魔物に見つからないよう慎重に、しかし出来る限り早く、夜の帳が下りかけている森を歩いた。

 *

「今度こそ、当たりだといいのですが……」
「ほんと、ごめんね……」
「いや、どのみち退治すべきであることには変わりない、気にするな」
 ほとんど日も暮れてしまった森の片隅、ややひらけた場所となっているそこには、洞窟の入り口があった。その手前に、フェンネルたち三人は立っている。話通りここが本当に盗賊のアジトなのだとしたら、自然の洞窟を、少なくとも外見上はほとんどそのまま使っているのだろう。意識しなければ、盗賊のアジトだとは思わないような洞窟であった。
「だが、こういくつも潰していると、たらい回しにされているような気分になるな。いっそ、大規模な盗賊団が一つあった方が楽だったんじゃないかと思えてくる」
「それはそれで大変そうですけど、そうですね……」
 洞窟は、四人が昨晩野営をした場所からそう遠くない。ゆっくり歩いても、寄り道さえしなければ夕方まで掛かるような距離ではなかった。それでもこんな時間になったのは、先に二つの盗賊団を退治したからである。どうやらこの辺りでは、小規模の盗賊団が複数活動しているようだ。
「また見つからなかったら、どうしよう……」
「次こそあると信じて、そのつもりで戦おう。いや、もう見つかったものと信じて、持っていると思い込んでもいいかもしれないな」
「う、うん……」
 見た目に似合わず、コーンはいつもよりおどおどとしていた。お守りがないことで、不安なのかもしれない。いつものような、周囲を安心させる落ち着きもない。
「さっき倒した連中の話が確かなら、森の盗賊はここで最後のはずだ。さっさと終わらせよう」
 フェンネルはコーンの肩を叩き、洞窟の方へと足を踏み出した。アセロラとコーンも、それに続いて洞窟の中へ入っていく。自然の洞窟の、手を加えられていない入り口付近はでこぼことした地面が続き、ごつごつとした岩が空洞を覆っている。灯りも全く設置されていない。
「二人とも、周りが見えるか?」
「うーん、全然見えないや……」
「私もです……」
 少し進めば、外から僅かに入っていた夕暮れの日差しもなくなってしまう。洞窟の中は、数歩先も見えない暗闇に包まれてしまった。
「灯りをつけるか否か……灯りを持てば当然、敵に見つかるリスクが高まり、奇襲がしづらくなる。だが、かといって全く見えない状態では話にならない」
 軽く手を触れ、互いの位置を確認しながらフェンネルは言った。何も言わずに立ち止まってしまったが、バラバラにはなっていないようである。
「うーん、どうしようか……」
「灯りをつけた方がいいのでは、と私は思います。確かに、こっそり近づいての奇襲はできなくなりそうですが、いっそそういうのは諦めて、このまま一気に奥まで行って不意を突くのもありかもしれません。他の盗賊の強さを考えれば、ここもそこまで手強くはないでしょうし」
 先に倒した二つの盗賊団の様子を思い出しながら、アセロラは提案する。三つの盗賊団に上下関係はなかったようであるし、ここだけが抜きんでて強いということもおそらくはないであろう。
「アセロラちゃんって、こういうとき度胸あるよな」
「そうでしょうか」
 お互いの顔も見えない暗闇の中で、アセロラはフェンネルの言葉を軽く受け流す。
「だが、いいと思う。このまま真っ暗な中を進んだところで、リスクが大きすぎる」
「では、早速点けますね」
 そう言うなり、アセロラは右手に握った樫の木の杖で、左手で持っているランプの端を軽く叩いた。ぱちりと火花がはじけ、ランプが輝きだす。アセロラはそのまま、辺りをぐるりと照らした。
「ひとまず、脇道などはないみたいですね」
「そうだな。さて、ここからは一気に進むか」
「はい」
 若干明るくなった洞窟の中を、三人は小走りで奥に向かった。相変わらず歩きにくい道ではあるが、慣れればこけるほどのものでもない。
「全然枝分かれしていませんね」
「思っていたよりも小規模なのかもしれん。かといって油断はできないが……」
 走りながらアセロラは器用に壁を照らしていくが、洞窟は相変わらず一本道のままである。いったいどこまで続いているのだろうか。そう思ったとき、突然視界の端に光るものが映った。
「伏せろ!」
 アセロラの頭上を、小さなナイフがするりと滑って行く。投げナイフだ。体勢を崩しつつも、アセロラはナイフがやって来た方向にランプを向ける。ぼんやりと浮かんだ人影にフェンネルは構えていた矢を放った。うめき声が聞こえるが、おそらく一人ではないだろう。最低でももう一人はいると思われる見張りを探して、コーンは一気に近づいた。奥には木の扉が見え、そのすぐ横に灯りもある。灯りは扉だけでなく、もう一人の姿も照らしていた。だが、コーンが剣を振り降ろそうとするよりも早く、その人影は扉を思いっきり開いた。
「敵襲だ!」
 見張りの男は、扉の向こうへ大声で叫んだ。扉の先の部屋は明るく、ぼんやりとした灯りしかなかった洞窟に、光が一気に差し込む。だが、目を眩ませている暇などなかった。見つかった以上、このまま手早く倒してしまう他ない。立ち止まらずに見張りを追いかけ、扉の向こうに広がる部屋へと駆けこんだコーンは、見張りの男を後ろから殴り気絶させた。フェンネルもそれに続き、部屋の入り口から全体を見渡す。盗賊の人数は見張りを除くと、目に見える範囲で十一人、実力にもよるが、戦闘に慣れている者が複数いない限りはこの勢いで倒せそうだ。だが、フェンネルは同時に、盗賊たちの中に見覚えのある顔を見つけた。縛られていて、どう見ても盗賊の仲間には見えない、ローブも帽子も泥まみれの魔法使いが一人。それは、今朝一人で出発したはずのソーダであった。
「……! な、なにやってるんだあいつ」
 ソーダの方もフェンネルたちに気づいたのか、目を見開いている。だが、いつまでも驚いたままでいるわけにはいかない。魔法の実力は確かなソーダが、人数差はあれどなぜか捕まっているのだ。ただの盗賊たちではないのかもしれない。そう思ったフェンネルは、そのまま入口からボスらしき人物を探した。
「あ、先輩!」
 入口まで追いついたアセロラも、盗賊に紛れて縛られているソーダを見つけた。その隣で、ボスに目星をつけたフェンネルは鋭く矢を放つ。だが、すぐ側にいた子分に阻まれてしまった。
「なんの用だてめぇらあ! 野郎ども、かかれえい!」
 戸惑う三人の前で、盗賊たちは反撃に転じつつある。フェンネルが矢を放っていた間に、コーンが近くの盗賊を一人気絶させたようだが、盗賊たちは残り十人。この状況で三人で戦うには多い。ソーダが戦えれば状況も変わるだろうが、肝心の武器である杖は伝説の剣と共に部屋の隅に転がっている。ソーダが捕まっている場所からも、三人が入って来た入口からも遠い。ソーダを解放することと、杖を拾って渡すこと、どちらを先にするとしても難しい位置関係だ。
「……退くわけにもいかんしな!」
 覚悟を決めたフェンネルは、弓を構えたまま襲い来る盗賊を避け、その背後の小柄な盗賊を射抜いた。避けられた盗賊がバランスを崩しているところを、アセロラが樫の木の杖で思いっきり殴った。決して打撃用の武器ではないはずの杖による、少女の非力な攻撃ではあるが、それでもこの杖には見た目通りのずっしりとした重みがあった。軽量化されたソーダの杖とは違うのだ。盗賊はそのまま倒れた。だが、その隙に別の盗賊が襲いかかって来る。入口から見て右手。その方向にはコーンもいるが、彼は目の前の盗賊に苦戦していた。その様子は、相手が強いというよりかは、コーンの動きが普段と比べてかなり鈍いからのように見える。
「くっ……」
「フェンネルさん!」
 アセロラを庇い、盗賊の斬撃をフェンネルが受けた。その腕からは、赤い血が舞う。だが、やられるだけでは済ますまいと、彼はすかさず足払いをかけた。バランスを崩した盗賊を、そのまま畳みかけるように殴り、気絶させる。これで残り七人。しかし、あとの連中もすぐ側まで迫って来ていた。お守りのないコーンの動きは相変わらずで、期待できない。避けたい選択肢ではあるが、一度退くことも視野にいれなければならないのか、そうフェンネルが考えたところで、ソーダが叫んだ。
「お守りがないぐらいで、戦えなくなるんじゃねぇ!」
 同時に、縛られたままの腕で、何かをコーンに向けて放り投げた。杖さえなければ弱そうに見えたからか、ソーダの腕はあまりきつくは縛られていない。そのおかげか、ソーダが投げた布の塊は、思いのほかコーンの近くまで届いた。
「僕のお守り!」
 目の前の盗賊の攻撃をかわし、コーンはお守りの方へと走った。かがんで、お守りを拾う。その背後から盗賊が剣を振り下ろしたが、コーンはそれを大剣で受け止め、そのままなぎ倒す。先程までとは段違いの動きであった。お守りを取り戻したコーンは走りだし、一気に杖と剣の方へ向かった。遮る盗賊を避けて杖を掴み、その勢いのままソーダの方へ投げる。
「ソーダ君だって、杖がないとなにもできないじゃないか!」
「メイン武器の魔法使いの杖と、装飾品扱いのお守りを一緒にするな!」
 飛んできた杖はやや逸れたが、ソーダはなんとか受け取った。杖の先端の、水色の宝石が輝く。そこからは、あっという間のことであった。ソーダを中心に地面に広がる氷の線は、雪の結晶のような模様を描きながら、コーンたち三人は避けつつ、盗賊たちを確実に捕えていく。霜が降りたかのような、真っ白な氷の粒が描く線、それが盗賊たちに触れた瞬間、その足元は凍りつき、徐々に全身が氷に浸食されていった。次から次へと、人型の氷像ができあがる。
「なんとか、なったか……」
 コーンがお守りを拾ったあたりから、防御に徹し気味だったフェンネルがほっと息をつく。かなり危うい場面ではあったが、倒すべき者を倒し、奪われたものは取り戻した。凍りついた盗賊については、やや遠回りにはなるが近くの村にでも寄って伝えればいいだろう。そうすれば、憲兵なり自警団なりが捕まえに来るはずだ。だが、それはそれとして、やはり気になることがある。
「なんでお前、こんなところで捕まってたんだ。さっきの様子だと、一人でも余裕だっただろ」
「うっ、それは……お、俺にも、いろいろ考えがあったんだ!」
 当然の疑問を口にしたフェンネルに対して、ソーダは必死にごまかそうとする。
「それに、僕のお守り……も、もしかして僕のお守りを取り戻すために一人でここに乗りこんで、だけど盗賊の罠が」
「それは絶対違う。落ちてたのを拾っただけだ」
 盗人の落とし穴に落ちて、杖と伝説の剣を盗まれ、こっそり侵入して取り戻そうとするもあっさり見つかり捕まってしまった、という真相はあまりに間抜けすぎて絶対に話したくない。そう、ソーダは思った。
「それにしても、お守り一つでこんなに変わるものなんですね……」
 フェンネルの傷の手当てをしながら、アセロラは言った。コーンの動きは、お守りの有無だけで、自己暗示だとしてもあまりに違いすぎる。
「僕のおばあちゃん、命術師だからね。でもほんと、今回は迷惑かけてごめん……」
「え……そ、それを先に行ってください! 命術師って……!」
「みょうじゅちゅ……聞いたことないが」
「名前ぐらいは知ってるが、俺も詳しいことはさっぱりだな」
 途中で噛んだのが恥ずかしいフェンネルと、よくわからないといった表情のソーダの前で、アセロラは一人驚いていた。
「私も詳しい仕組みとかは知らないんですけど、命術っていうのは魔力や生命力とは別の力も使って、様々な補助的効果をもたらす手段で、けれど特殊な才能を必要としますので、それを扱う命術師の方は本当に少ないんです」
 かつて、回復魔法の勉強の合間に、聞きかじった知識をアセロラは思い返す。回復魔法とは違った回復の術がある話、その術では回復以外の効果ももたらすことができるという話、特別な才能が必要なため命術師は探してもそうそう見つからないという話。
「えーっと、つまり、コーンのお守りにもそういう補助的効果が備わってる、ってこと?」
「そうですね、さすがにそれだけの効果にしては大き過ぎる気もしますので、自己暗示と複合しているのだと思いますが」
 コーンのお守りを見せてもらいながら、やはり自分にも命術はよくわからないとアセロラは感じた。先日渡された謎の回復の石について、命術を利用している可能性も頭の片隅に置いていたアセロラだったが、もしそうだったとしても命術がここまで未知のものであれば、その仕組みの理解はできないだろう。魔力や生命力以外の特殊な力を知ることの難しさが、なんとももどかしい。
「なるほどな……正統派剣士の見た目のくせにそれでいいのかよ……」
「そ、ソーダ君、そんなこと言われても……」
「まぁ、今度こそ失くさないように気をつけておけばそれでもいいだろ」
 話もそこそこに、フェンネルは入り口の外で気絶したために氷結を免れた盗賊をロープで縛っていく。この日三回目の作業だからか、ずいぶん慣れた手つきだ。
「凍ってる人たちはどうするんですか?」
「洞窟の中だし、一週間は融けない」
「ほんと、魔法だけはえげつないよな……」
 凍っていない盗賊を縛り終え、洞窟の外へ出たソーダたちは、外がすっかり暗くなっていることに気づいた。村はそう遠くない場所にあるが、無理に夜道を進む必要もないだろう。盗賊退治と落とし穴からの脱出でそれぞれ疲れていた四人は、洞窟の入り口で野宿をすることにした。

 *

「一人で先に行かなくていいのか?」
 翌朝、朝食も取り終え、四人は近くの村に向かおうとしていた。その直前、フェンネルはソーダに投げかける。
「……俺は一人でも平気だが、お前ら三人だけだと危なっかしいからな」
 そう言うと、ソーダはさっさと歩きだしてしまった。
「はぁ……そういうことでも別に構わんが、剣を引きずるのはやめろ」
 引きずられていた伝説の剣を背中に背負わせ、三人も出発する。森の出口は近い。近くの村に寄るのならば、森に戻らず街道を通った方が早いだろう。薄暗い、落ち葉まみれの道ももうすぐ見おさめだ。
「そういやあの盗人、結局どこに行ったんだ?」
 ふとしたソーダのつぶやきは、森の薄闇の中に溶けていった。

 

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